海外の巨匠
ルオー、ルノワール、ローランサンの作品、略歴を紹介しております。画廊、ギャラリーリッチ(大阪)では、各作家の絵画を販売しておりますので、お気軽にお問い合わせください。また、現在作品が紹介されていない作家もお問い合わせいただければ、お取り寄せ可能か判断し、ご連絡いたします。
ルオー(1871〜1958)
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作家略歴紹介
本名:ジョルジュ・ルオー
| 1871年 |
5月27日、パリ・コミューンの崩壊前日、砲撃の中生まれる。父アレクサンドルは家具職人。 |
| 1885年 |
父の勧めでステンドグラス職人のもとに徒弟奉公に出る。
古いガラスの修復に従事しつつ、夜は装飾美術学校で素描を学ぶ。(〜90年) |
| 1890年 |
画家になる決心をし、国立美術学校に入学。
エリー・ドローネの教室に入る。 |
| 1892年 |
ドローネの後任にギュスターヴ・モローが就任。
キリスト教主題の作品をレンブラント風に描く。 |
| 1894年 |
「博士たちの間の幼きイエス」がシュナヴァ−ル賞受賞。 |
| 1895年 |
ローマ賞に再度応募するが落選し、師モローの勧めに従い美術学校を退学。 |
| 1898年 |
モロー死去。 |
| 1903年 |
パリにモロー美術館が開館し、モローの遺言により初代館長に任命。この頃から道化師や娼婦を描き始める。 |
| 1904年 |
サロン・ドートンヌに作品を出品。
観衆は一連の「黒い絵」を嘲笑。 |
| 1908年 |
「法廷」の連作、貧しい農夫、労働者の絵を描く。人間の内面にまで踏み込んだ表現主義的な描写を試みる。 |
| 1913年 |
ルオーの陶器に興味を抱いた画商ヴォラ−ルが、今後の全作品を購入するよう申し出る。 |
| 1917年 |
画商ヴォラ−ルと専属契約を結ぶ。
『ミセレ−レ』、『悪の華』などの版画集を計画。 |
| 1918年 |
油彩画に専念。「キリストの受難」等宗教的主題が多くなり、色彩は鮮やかに、マティエールは豊かさを増し、表現はさらに凝縮されて重々しくなる。 |
| 1924年 |
ドリュエ画廊で大回顧展開催。 |
| 1929年 |
日本人実業家の福島繁太郎と最初に出会う。 |
| 1930年 |
版画集『流れる星のサーカス』、『受難』を制作。30年代は道化師、裁判官、聖書風景、キリスト像など大型の油彩を輝く透明なマティエールで描く。 |
| 1937年 |
パリ市プティ・パレ美術館で回顧展開催。 |
| 1941年 |
アメリカ各地で巡回展。以後青を基調とする厚塗りで芳酵なマティエールの小型の作品を描く。 |
| 1951年 |
黄色味を帯びたキリスト教的風景画が表れ、平和で神秘的な情景が多数描かれる。 |
| 1955年 |
ローマ法皇ピウス・よりグレゴリオ大勲章を授与される。 |
| 1958年 |
2月13日逝去。享年86歳
2月17日、サン・ジェルマン・デ・プレ教会で国葬。 |
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■作品紹介(版画集『ミセレーレ』より)
上段:ルオー『死に至るまで、そして十字架の上の死に至るまで従順なる』
1926年/Aq+Dp/58.0cm×42.0cm
下段:ルオー『高慢と無信仰のこの暗き時代に、地の果てより聖母は見守る』
1927年/Aq+Dp/58.5cm×43.3cm
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ルノワール(1841〜1919)
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作家略歴紹介
本名:ピエール・オーギュスト・ルノワール
| 1841年 |
フランス中西部の町、リモージュで生まれる。 |
| 1844年 |
一家でパリへ引越し。13歳で磁器の絵付け職人見習になる。 |
| 1861年 |
シャルル・グレールの門下生になる。
( 同じ 門下生に、モネ、シスレーなどがいた。) |
| 1862年 |
国立美術学校入学。 |
| 1864年 |
サロンに入選。 |
| 1890年 |
アリーヌ・シャリゴと結婚。 |
| 1900年 |
レジオン・ドヌール勲章を受章。 |
| 1919年 |
逝去。享年78歳 |
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ローランサン(1883〜1956)
■作品紹介
上段:
ローランサン『プリンセスたち』
????年/アクアチント
52.0cm×51.0cm
下段:
ローランサン『リンダ』 SOLD
1955年/リトグラフ
38.5cm×32.0cm
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作家略歴紹介
本名:マリー・ローランサン
| 1883年 |
パリで生まれる。 |
| 1893年 |
パリのリセ・ラマルティーヌに入学。 |
| 1902年 |
女子師範学校の準備を止め、製陶所で磁器の絵付けの講習に通う。 |
| 1903年 |
画商アンリ・ピエール・ロシェと出会う。 |
| 1904年 |
リセ・ラマルティーヌ卒業。画塾アカデミー・アンベールに入り、ジョルジュ・ブラックらと出会う。 |
| 1906年 |
ブラックの紹介でパリの「洗濯船」の常連となりピカソやマックス・ヤコブらと出会う。 |
| 1907年 |
ピカソの紹介で詩人ギョーム・アポリネールと恋に落ちる。また、初のサロン出展を果たす。 |
| 1908年 |
「狩りをするディアナ」製作。 |
| 1909年 |
「アポリネールとその友人達?」を発表。 |
| 1910年 |
「乙女たち」を描く。 |
| 1911年 |
ニコル・グルーと出会い、生涯の親友に。 |
| 1912年 |
パリのバルバザンジュ画廊において展覧会。
アポリネールと訣別。
「家具付きの貸家」製作。 |
| 1913年 |
母ポーリーヌ死去。
ドイツ人画家、オットー・フォン・ヴェッチェンと出会う。「読書する女」「アンドレ・グルー夫人ニコル」製作。 |
| 1914年 |
ヴェッチェンと結婚し、スペインへ亡命。 |
| 1916年 |
バルセロナへ転居。アポリネールが戦争で負傷。 |
| 1917年 |
ピカビアの主催する雑誌「391」に挿絵を提供 |
| 1918年 |
アポリネール死去 |
| 1920年 |
デュッセルドルフへ転居 |
| 1921年 |
パリへ転居。ロザンベール画廊での個展が成功。 |
| 1922年 |
ヴェッチェンと離婚 |
| 1923年 |
肖像画を描き始める。
ジャンコクトー台本の「牡鹿」舞台装置と衣装を担当。 |
| 1925年 |
シュザンヌ・モローと同棲。 |
| 1932年 |
「パリ16区のアトリエ」にて教鞭をとる。 |
| 1939年 |
「園遊会」発行 |
| 1942年 |
「夜の手帖」発行 |
| 1944年 |
マルセル・ジュアンドー著「小動物物語集」にエッチング8点を掲載 |
| 1949年 |
ポール・モイリアン書店にて「友人達の肖像展」を開催 |
| 1951年 |
「セーヌ川の顔」発行 |
| 1954年 |
シュザンヌ・モローを養女に。 |
| 1956年 |
心臓発作で逝去。 |

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