海外の巨匠
ヴラマンク、シャガール、ダリ、デュフィー、デルボーの作品、略歴を紹介しております。画廊、ギャラリーリッチ(大阪)では、各作家の絵画を販売しておりますので、お気軽にお問い合わせください。また、現在作品が紹介されていない作家もお問い合わせいただければ、お取り寄せ可能か判断し、ご連絡いたします。
ヴラマンク(1876〜1958)
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作家略歴紹介
本名:モーリス・ド・ヴラマンク
| 1876年 |
フランスのパリの音楽教師の家庭に生まれる。独学で絵を学ぶ |
| 1900年 |
アンドレ・ドランと出会う、昼は絵を描き、夜はヴァイオリンの演奏を行い生活 |
| 1901年 |
ファン・ゴッホの回顧展に感銘を受けて画家を志す |
| 1902年 |
友人のセルナダとの共著「風に吹かれる種子」を発表 |
| 1904年 |
フォーヴのひとつのグループを形成。 |
| 1905年 |
マティスがドランとヴラマンクの絵を見に来て、展覧会への出品をすすめる。 |
| 1906年 |
前年より画壇の地位を確立したセザンヌの作品を見て強く刺激を受ける |
| 1907年 |
画商ボラールにより、最初の個展を開催。ヴラマンクにとりフォーヴィズムの総決算となる |
| 1908年 |
セザンヌの影響を受け、強固な構成を試みる |
| 1912年 |
画商ボラールと契約を結ぶ |
| 1918年 |
ランやマティスから離れ、フォービズムからも遠ざかる。 |
| 1919年 |
二度目の個展 |
| 1920年 |
作家論が出版される。写実性の強い画風に変化 |
| 1925年 |
ベルネイム・ジュンで全傑作展開催。 |
| 1933年 |
グループ展とパレ・デ・ポーザルで回顧展 |
| 1936年 |
NYカーネギー研究所での展覧会 |
| 1937年 |
パリ万博で個人展 |
| 1947年 |
シャトゥー派回顧展が成功。現代絵画創始者のひとりと認められる。 |
| 1954年 |
ヴェネツッア・ビエンナーレに出品。 |
| 1956年 |
シャンパルティエ画廊で回顧展 |
| 1958年 |
逝去。 |
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シャガール(1887〜1985)


■作品紹介
上段上:
シャガール『緑の森』
1962年/リトポスター
70.0cm×53.0cm
中段:
シャガール『パッション』
1975年/リトグラフ
40.0cm×25.0cm
下段右:
シャガール『ドルコオンの死』
1961年/リトグラフ
42.0cm×64.0cm
下段左:
シャガール『クロエの誘拐』
1961年/リトグラフ
42.0cm×64.0cm
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作家略歴紹介
本名:マルク・シャガール
| 1887年 |
ロシアのウィテブスクに生まれる。 |
| 1907年 |
ぺテルスブルグの美術学校で学ぶ。 |
| 1910年 |
詩人ブレーズ・サンドラール、マックスシヤコブをはじめレジェ、モジリアーニ、ドローネなどの画家と知り、アポリネールと親交を結び、アンデパンダン展に出品。
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| 1914年 |
ロシアに帰る。ベルリンで初個展。
初期作品は印象派風だったが、ピカソを知り立体派に感化される。 |
| 1917年 |
革命後の故郷で美術人民委員に選ばれたが、マーレヴィッチとの不和でパリに戻る。
やがて、明るさと思索性、神秘性をあわせたシュールレアリスム作風を確立。 |
| 1922年 |
ベルリンへ寄り、版画家ヘルマン・シュトックを知り、銅版画技法を習得。同年最初の銅版画「わが生涯」を出版者カッシラーの依頼で制作。 |
| 1923年 |
パリへ渡る。ヴォラールの依頼によりゴーゴリーの「死せる魂」及びラ・フォンテーヌの「寓話」の銅版画を制作。 |
| 1931年 |
ヴォラールの依頼で壮大な主題「バイブル」に取り組むためパレスチナへ旅行。 |
| 1939年 |
カーネギー賞受賞。 |
| 1948年 |
カラー石版画「アラビアンナイト」発表。
ヴェニス第25回ビエンナーレ版画賞受賞。 |
| 1954年 |
ギリシャへ旅行。
カラー石版画「ダフニスとクロエ」の仕事開始。 |
| 1956年 |
サーカスをテーマに石版画を制作。
銅版画「バイブル」を発表。 |
| 1958年 |
「デッサンバイブル」カラー石版画25点制作。
(60年発表) |
| 1963年 |
パリ・オペラ座の天井画制作。
東京、京都で大回顧展開催。 |
| 1965年 |
カラー石版画「エクソダス」制作。 |
| 1967年 |
生誕80周年を記念チューリッヒ、ケルンで大回顧展開催。
ルーブル美術館で「聖書の使命」展開く。 |
| 1976年 |
東京国立近代美術館で個展を開く。 |
| 1985年 |
ヴァンスにて逝去。享年97歳 |

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ダリ(1904〜1989)
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■作品紹介
上段上:
ダリ『バラの頭部の女』
????年/リトグラフ
79.4cm×55.7cm
上段下:
ダリ『ユニコーン』
????年/リトグラフ
43.0cm×63.0cm
下段右:
ダリ『反転する象』
????年/リトグラフ
42.0cm×64.5cm
下段左:
ダリ『終わりなき繰言』
????年/リトグラフ
45.0cm×57.5cm
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作家略歴紹介
本名:サルバドール・フェリーペ・イ・ハシント・ダリ
| 1904年 |
スペインの小都市フィゲーラスに生れる。 |
| 1917年 |
ホアン・ニュヌスにデッサンを学び始める。 |
| 1918年 |
市立劇場でのグループ展に油絵数点を出展。 |
| 1922年 |
バルセロナのダルマウ画廊でのグループ展に出展。
ガルシア・ロルカとルイス・ブニュエルと親しくなる。 |
| 1928年 |
ピッツバーグの国際美術展に「パン籠」「アナ・マリア」などを出品。 |
| 1929年 |
パリのゴーマン画廊で個展。
ブルトンが個展の序文を書く。
「アンダルシアの犬」の撮影に立ち会う。
シュールレアリスムグループの一員になる。 |
| 1933年 |
ジュリアン・レヴィ画廊で、アメリカ最初の個展。
ミレーの晩鐘に関する作品を描き始める。
「モダンスタイル建築の恐ろしく可食的な美について」を発表。 |
| 1934年 |
パリでガラと正式に結婚。
シュールレアリスムグループから除名。 |
| 1936年 |
「内乱の予感」を制作。
エドワード・ジェイムズと36〜39年間の制作作品の売買契約を交わす。 |
| 1941年 |
NY近代美術館で大回顧展が開かれる。 |
| 1945年 |
ヒッチコックの「白い恐怖」の夢を担当。 |
| 1949年 |
「ポルト・リガトの聖母」を持参し、ローマ法王に謁見。 |
| 1950年 |
カトリックへ帰依する。「ポルト・リガトの聖母」を大作に描きなおしニューヨークで個展。 |
| 1971年 |
アメリカ・クリーヴランドのダリ美術館開館。 |
| 1974年 |
フィゲーラスのダリ劇場美術館開館。 |
| 1982年 |
スペイン国王から大十字勲章とプボル侯爵の爵位を受ける。セントピーターズバーグのダリ美術館開館。 |
| 1983年 |
生涯最後の作品「燕の尾」を制作。 |
| 1984年 |
自宅が家事で焼失。ダリ本人も大怪我を負う。 |
| 1989年 |
フィーゲラスで逝去。享年84歳。
劇場美術館へ埋葬。 |

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デルボー(1897〜1994)

■作品紹介
上:
デルポー『フルート奏者』
1972年/リトグラフ
58.8cm×38.5cm
右:デルポー『窓』
1971年/リトグラフ
58.0cm×78.0cm
SOLD Thank you!
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作家略歴紹介
本名:ポール・デルボー
| 1897年 |
ベルギー、アンテートの弁護士の家庭に生まれる。 |
| 1924年 |
後期印象派グループ展に出品。
出品作品が売れる。 |
| 1926年 |
ブリュセルのマントー画廊で個展。
29年まで毎年個展開催。 |
| 1932年 |
シュール・レアリスムに衝撃を受ける。
この頃より、画風に変化がみられる。 |
| 1944年 |
ブリュッセルで回顧展 |
| 1946年 |
アメリカでの個展が成功。
49年まで毎年アメリカで個展開催。 |
| 1950年 |
ブリュッセル市ラ・カンブルの国立美術建築学校絵画部門の教授に就任。 |
| 1951年 |
「鉄の時代」を制作。 |
| 1965年 |
ベルギー王立アカデミー美術部門長に任命 |
| 1966年 |
リトグラフ制作。
以後、リトグラフの制作を続ける。 |
| 1975年 |
東京と京都の国立近代美術館で展覧会開催 |
| 1994年 |
7月20日老衰により逝去。
享年96歳。 |
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